1972年に阪大工学部土木工学科を卒業し50年が経過したのを記念して、同窓会(参加者16名)を下記のごとく開催しました。

‐2023年10月2~3日(2日間)神奈川県箱根町にて、10月2日は大成グループ「箱根洗心寮」にて宴会(16名)・3日はゴルフ組(10名)と付近観光組(6名)に分かれて懇親会。

‐我々の同窓生は学部を1972年に卒業した者と修士を1974年に卒業した者の合同で総勢47名、残念ながら現在までに物故者が2名おられて合計45名です。

今まで同窓会はほとんど関西圏(同窓生数が多数を占めるので)で開催していましたが(数年に一度)、今回は50周年記念(コロナ禍で少し遅れましたが)ということで、同窓生が全国に散らばっている関係で出来るだけ集まりやすいように初めて地理的中央部の関東で開催しました。

 

学部卒業後50年というと、大学入学時の紅顔の美少年達も73歳以上の高齢者となり、まず外観は見るかげもなく・全員肌は潤いなしのしわくちゃ・髪は白髪または白髪混じり・中にはほぼ禿げている者も、会話内容といえば現在の政治・経済・社会情勢についてはほとんど無く・過去の武勇伝や病気情報と現在の趣味等・時々は子供や孫の話で、数名を除いて「毎日が日曜日」組で現役のまま毎日生産活動をしているのは1~3名だけ(まあでもやっぱり偉い・尊敬に値する)。

 

そんな我々も戦争ほどではないけれど激動の時代を駆け抜けてきました。

我々の人生を振り返ってみると、人生を大きく4つの時代に分けて、1.大学卒業(20歳台)までの青春時代・春「学びの時代」。2.就職して必死に社会活動した(40歳台)までの夏「実践時代」。3.社会の実質中心存在から退職する(60歳台)までの壮年時代・秋「実りの時代」。4.退職してから悠々自適できる(社会から引退する)までの老年時代・冬「実りを楽しむ時代」に分けて振り返ってみました。

 

‐1.我々は戦後生まれの「団塊の世代」で、同級生は220万人以上(今年誕生した赤ちゃんは90万人以下)居て、幼少のころは日本中が戦後の復興途上でほとんどの者は貧しい生活を体験してきた(今となってはこれも良い経験だったと思っているが)。それでも学童時代は「60年代の高度経済成長時代」(年率10%以上の経済成長で、1968年には日本のGNPがアメリカに次ぎ自由世界2位となった)のおかげで、各家庭にもテレビ・洗濯機・掃除機がいきわたった。ただし生涯にわたりものすごい競争社会でもあった。

大学受験時は「4当5落」(合格したかったら4時間以内の睡眠・5時間以上寝ると合格しない)と脅かされ、合格率も「土木」で確か4倍台。入学すると全共闘・民青等の学生運動で「全学封鎖」となり半年間は闘争・バイト・遊びに明け暮れていた(1969年は東大受験中止)。1970年には工学部のある吹田での大阪万国博覧会があった(狂騒・絢爛)。それでも日本は平和(当時は憲法9条の「戦争放棄」を信じていた、今は?)で日本自体も我々の生活もだんだん豊かになっていき、ともかく明日は今日よりも良くなるだろうと確信していた。

 

‐2.1972年に卒業・就職後も日本経済はますます成長していき、建設ブームはどんどん続き、仕事はとても忙しく、日々の残業はもう当たり前・休みは日曜日だけという状態だった。まだまだ建設需要がその供給に追いつかないほどの好景気だった。

他業界も同様で日本の経済成長はますます進み、その結果1979年には「Japan as No.1」が出版され、当時の日本の経済・科学技術・教育・社会制度などの優位性が称賛された。その要因となっていた(今では批判されているが)「終身雇用」・「年功序列」が正しいと当時は思っていた。

また為替相場に関して、1971年12月までは円が360円/ドルの「固定相場制」(これが日本の高度経済成長の大きな要因でもあった)であったが、ニクソンショック(米がドルと金の交換を停止した)を経て、ついには1973年に「変動相場制」に移行した(急激な円高基調となった)。日本企業は(様々な痛みがあったが)生産拠点を海外に移し効率的な生産体制を築くこと等(大変な努力を要する・実際いろいろな失敗もあったが)により、最終的に最高円高の80円前後/ドル(1995年)になるまで経済成長を続けた。まあ幼少期はみな貧しかったが(実際に経験したので実感として比較できる)成長期・実践活動期には豊かになった日本人として、自信にもなったし誇りにも思えた。

 

政治・経済・社会面では、1973年の第4次中東戦争で「第一次石油ショック(油断)」、1976年の田中角栄元首相が逮捕された「ロッキード事件」、1979年のイラン革命による「第二次石油ショック」、1986年から1991年まで日本経済絶頂期の「バブル経済」、1990年の「東西ドイツ統一」、1991年の「ソビエト連邦崩壊(冷戦終結)」が起きた。

いろいろな出来事が起こりましたが日本人は何とかうまく対処して、日本は世界の主要国となり続けました。右肩上がりの景気の良い時代に社会人時代を送れたものだと、その幸運を喜んでいます。(国内では深刻な公害問題・増え続ける交通事故・その他負の側面もいろいろあったが。)

 

‐3.そして1992年に始まった日本経済の「バブル崩壊」とともに我々の壮年時代・秋が始まった。まあ「奢れるものは久しからず」とでも言いましょうか、でも今の中国やとてもしつこいイランを見ていると、やはりプライドや軍事・力を持たないと、なんでもアメリカの言うがままだと「失われた30年」もしょうがないのかなーと思ってしまう。アメリカだっていつまでも世界の覇権国でいられないだろうに。成長するためには時代の変遷とともに社会制度や意識をどんどん変えていかなければならない、変革を恐れていてはならない。我々や我々の上司のような過去の古い成功体験を持っている者がリーダーとなり、その成功体験をもとに(にしがみつき)次の戦略を立てていては所詮勝てない。早く政治・経済面での新しいスタンダード・新しい対応力を持った「大谷翔平」のような出現を期待しています。

 

政治・経済・社会面では、ともかく日本は「デフレ」で30年間の立ち止まり、18世紀のイギリスで起こった産業革命以来の大革命である(1990年前後に始まった)「IT革命」が本格化し・今では世界中が大変革して「IT社会」となった。1995年に「阪神淡路大震災」、2001年に「9.11アメリカ同時多発テロ」、2003年に「イラク戦争」、2008年に「リーマンショック」、2011年に「3.11東日本大震災」が起こった。

我々の壮年時代・秋は「IT革命」によりパラダイムシフトが起こり、その変化(アナログとデジタル、ローカルとグローバル、個人と世界、利益とリスク等)に我々も日本もうまくついていけなかった時代だったのかなーと思います。大震災・異常天候を含む自然災害も多く発生した。

 

‐4.2019年末に中国で発生した「新型コロナウイルス(COVID-19)」前後あたりから、我々の老年時代・冬が始まった。コロナは我々高齢者につらく当たり、3年以上ほぼ自宅待機状態であった。

まあでもあと何年健康でいられるか分からないが、ともかくまずボケないこと・それとできるだけ長く自分の足で外出できる体力と意欲をなくさないように、頭と体力と精神の健康を維持したい。

それと、会ったとたんに青春時代を思い起こさせてくれるこのC72同窓会にできるだけ長く出席したい。

 

これまでの73年以上の人生を総括して、「明日は今日よりも絶対によくなる。」と確信できる日々をずっと送り続けることができたことに感謝しています。

 

以上

吉岡俊策 記

 

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