芳賀 顯世様(A53)から,卒業70年の記念に同級生と旅行をされたご報告をいただきましたので,以下に掲載させていただきます。また,立石宗一様(A53)からのコメントも付記させていただきます。

 

「残りの旅」

 4月18日から2泊3日で、学卒70年記念として上田(写真・右)、立石(同・中央)両君と伊豆半島をめぐる旅に出た。65周年の能登半島一周では5人であったが、一人が消息を絶ち、一人は遠出がむつかしくなり今回は3人となった。

 三島から電車、バスを乗り継いで湯ヶ島に到り、渓流沿いの和風旅館に泊まった。恩師への想い、クラスメートの思い出から昨今の中国との外交スタンスまで話題は尽きなかった。

 次の日はタクシーで地元の湯本館見物から始めたが、ノーベル賞作家が青春の情念を熱くした露天風呂はすでに廃止されていた。「白ばんば」は夏に飛ぶ虫のことだと運転手から聞いた。足腰のことを考え浄蓮の滝は上から、天城越えのシャクナゲは下からの眺めで済ませ、92年前、若き昭和天皇が車を降りた天城隧道入り口近くで同じように下りた。天皇は粘菌の採集とモリアオガエルの観察のため雨の中を山に登ったそうであるが、こちらは歌に出てくる橋と急流を眺めただけでトンネルを抜け、新緑の中を一路伊豆高原へと走った。

予定よりかなり早くホテル&スパに到着した。ロビーに入るとすぐ、上田君が「これはインドネシアだな」と喝破した。さすがである。そこらあたりにカエルのフィギュアがならんでいた。

 翌日、熱海で75周年は懸案として解散した。

 三人とも妻を介護している。それぞれ家庭の事情は異なり介護のレベルにも差があるが、一年360日働いてきた自分たちを365日支えてくれた妻たちへの感謝の念で余生を送っていることはみな同じである。

 長い旅路であった。変化の激しい半生を過ごしてきた。技術基準はおおきく変わり、米ドルは360円から一時は100円を切るまでになったが、一方で卒業の年スターリンが死んで休戦となった朝鮮戦争は70年たっていまもそのままである。これまでに多くの別れを経験したが、死については実のところ何も知らない。先哲によれば行き先は死後に示されるようであるからこれは仕方がない。

残りのこれからはそう長くはないであろうが、生かされている間は歩き続けるしかあるまい。

 旅はまだ終わらない。

 

 

【立石宗一様(A53)からのコメント】

 卒寿を超えた老人の付き添い無しの宿泊旅行と家族の危惧はありましたが、物事は前向きに捉える日頃の心掛けと、世間の方々の温かい思い遣りで楽しい旅でした。 お世話になった皆様には心から御礼申し上げます。

 

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