現存する構築会会員名簿の中で最も古いものは昭和37年(1962年)発刊のものである。この名簿の会則によると、会の目的は構築工学科の現旧教官、卒業生、学生の親睦を計ることにある。 事務局は構築工学科教室内におかれ、構築工学科教室主任が会長とされた。その後昭和41年(1966年)4月構築工学科が土木工学科と建築工学科に分離したことに伴い、事務局は土木工学科教室または建築工学科教室のどちらかにおかれ、事務局がおかれた学科の教室主任が会長職に就くことになり、両教室の状況が“教室だより”として会員名簿に掲載されるようになった。 さらに昭和49年(1974年)から会員からの寄稿も掲載されるようになり、昭和54年(1979年)から会費の額が会則に明記されるようになった。当時の正会員(卒業生、教官、元教官、大学院生)は年会費2,000円、特別会員(名誉教授、非常勤講師、元非常勤講師)と学部学生は会費免除とされ、昭和58年(1983年)からは大学院生の年会費が正会員の半額にされた。 昭和59年(1984年)から両学科の教室主任以外の卒業生が会長になった。さらに同年から会員名簿と“たより”が分冊になった。 昭和62年(1987年)、東京、愛知、大阪、兵庫、岡山の各支部が設けられ、このときのいきさつは2節で詳述される。平成3年(1991年)に正会員の年会費が3,000円に値上げされ、平成5年(1993年)から副会長が設けられた。 大阪大学工学部土木工学科・建築工学科創設50周年記念誌(平成10年1月)より
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